The Place of The Videogamesというサイトの別館的位置付けで、基本的には色々と考えて思いついたことを書くところになります。腰の入ったレビューは本館にありますのでそちらをご覧ください。一部ゲームについては攻略(っぽい)ことも書いています。
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最近、また『太閤立志伝V』をはじめました。
以前は金儲けに夢中になるあまり合戦にまったく勝てなくなり、ここまでか・・・と思ってあきらめてしまいましたが(最終経歴:部将)、今回は何とか粘り強く続けて城主に命じられるまで行きました。 城主になったらなったで、六角氏の住む日本三大巨城のひとつ・観音寺城を攻め落とせと命じられ、またもや「ここまでか・・・」となりかけたものの、大殿(信長公)が攻め入っているドサクサに援軍として駆けつけ、何とか攻略することに成功しました。 このころには合戦の要領も大分飲み込めてきたので、攻城戦も野戦も、まずまず、こなせるようになりました。たいていの場合、相手方には多数の援軍が駆けつけてくるものの、何とかうまく立ち回ることで撃退することができるようになりました。 「我が軍は寡兵。されど、野戦ならば勝ち目はある」 これは戦国無双で徳川家康公が言っていた言葉であり、その時は小牧長久手の戦いなのでむしろ敵側の言葉ですが、木下藤吉郎でプレイしていても、実際そんな感じです。何とかなるように、なってきたのです。 浅井家討伐とお市さまの帰還、足利義昭追放、などの歴史イベントが、ここに来て立て続けに起こってきました。今読んでいるのは『徳川家康』(山岡荘八)なので、具体的な太閤の歴史はわからなかったのですが、これで面白おかしく流れがわかった気がします。 今浜に移転されるタイミングで羽柴秀吉に改名したかと思うと、いきなり黒田官兵衛が「信長様に言われて」配下になり、清洲の街でひとり暮らしていた母親を城に引き取り、そのついでに荒小姓コンビ(加藤清正・福島正則)が加わり、さらに街でお茶を三杯ご馳走してくれた石田三成も引き込み。ここに来ていきなりスーパースターがそろいました。これだけのメンバーがそろえば、もう日本中を駆け巡って浪人の家に踏み込みお茶を振舞う必要もないような気がします。 ところで、プレイしている中でずっと「これって何なんだろう?」と思っていたことがわかったので、ちょっとメモしておきます。 それは『修行』と『長期修行』の違い。 修行とは、いうまでもなく新しい技能を身につけるためにアレコレすることであって、足軽組頭時代はせっせと修行に励んだものです。蜂須賀正勝や竹中半兵衛、あとは最近加わった連中などは最初から超人的な能力を有しているので修行するまでもないわけですが、そこそこの能力の人は技能もあまりないので、色々と命じます。まあ何も習得できずに帰ってくることもしばしばありますが、それでも「あたたかい目」(byドラえもん)で見守ってきました。 ただ、今日になって調べたところ、なんと! 技能レベルの習得限界があったんですね。能力パラメータによって、Lv2までとかLv3までとか、そういうのがあるらしい、と。そして『長期修行』コマンドは、その習得限界を超えることができるという・・・。 そうすると私は何年も(実時間では10時間以上)無為な時を過ごしてきたことになってしまいます。もっと早くから、部下に長期修行を命じていれば・・・なんて思ったりもしましたが、まあ仕方がありません。仕方がありませんので、今から積極的に使っていくことにしましょう。 * そんなこんなで、現在は北陸の朝倉氏を攻略せんと奮闘しているところです。 「できんことくらいせにゃあ成り上がれん!」 またしても『戦国無双』のせりふです。これは墨俣に城を作れと命じられて駆け出した羽柴秀吉の言葉です。 果たしてこの後、どんな歴史が作られていくのか。いよいよ楽しみな今日この頃です。 PR ![]() ![]() |
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プロフィール
HN:
いぬがみ
年齢:
43
性別:
男性
誕生日:
1981/07/04
自己紹介:
「シューティング好きの一般人」キャリアの割には一向に上手にならない、けれどもシューティングが好きな「雰囲気組」。それ以外にも80年代末~90年代のアーケードゲーム全般が好き(パズル、格闘ゲームは苦手)。
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